コロナマークUの歴史


位置づけ


 マークII
(MARK II) は、トヨタ自動車が生産していたミドルアッパーセダンクラスを担う乗用車。
 1996年発売の8代目(X100系)まではチェイサー/クレスタと共に姉妹車。
 1968年の発売当初は「トヨペット・コロナマークII」とよばれ、
 コロナの第二世代という意味合いで、クラウンとコロナの間に位置づけられた。

 日産自動車のスカイライン、ローレルが相当車種。


誕生の経緯


 初代マークIIとなったクルマは、そもそもはコロナの次期モデルとして企画されていた。
 1964年9月、コロナはモデルチェンジで3代目RT40(PT40)型へと移行する。
 車種体系の充実や、ファミリーカーとしての基本性能の高さが評判を呼び、トヨタ初のベストセラー車となっていた。


 コロナの次期モデルの構想は、拡大していくモータリゼーションによる需要層の上級指向にあったという。
 また、クラウンとのギャップを埋めるモデルが必要だったことや、
 ユーザーの多様化によるラインナップの充実が求められていたことも背景にある。

 こうして1968年9月にコロナマークIIが発売され、従来のコロナはマイナーチェンジにとどまった。


盛衰


 マークIIは好販売を維持し続け、36年に渡り製造・販売されるロングセラーカーとなった。

 ハイソカーブームに沸いた80年代半ばには、同社のソアラや、日産・シーマなど代表的な車種が
 シンボリックな存在だったが、実質的な販売台数では「白いマークII」がその中核であった

 90年代からのRVとその後ひきつづくミニバンブームが起こり、単なるブームではないと思われ始めた世紀末
 以降もトヨタはセダンが自動車の中心であると謳い、マークIIをプロモーションしテコ入れしていたが、最終的には、
 セダンは後継車種のマークXにモデルチェンジ。車名をマークXへと切り替えることで新しい道を探り始めた。


車名の由来


 コロナ マークIIという車名は上級車志向のコロナオーナーを意識し、ジャガーMk−IIなどの英国車の
 モデルチェンジやグレード変更によく使われる方法から採用された。
 トヨタの小型セダン”コロナ”(現在は既に廃止)をよりスポーティに高級化した車、という開発コンセプトにより、
 端的にその二次的車種という意味で”コロナマークII”と命名された。

 1984年(昭和59年)5代目(X70系)モデルチェンジ以降は動力・駆動機能とデザインにおいてより独自性が強められ、
 コロナシリーズとしての性格が弱まったことから”コロナ”の名称を外し”マークII”となった。
 当時、トヨタには車名の頭文字を「C」とすると成功する、とのゲンかつぎがあり、輸出仕様車の名前では
 "クレシーダ"として「C」を冠することになった。


 ”マークII”の名前についてはジャガー社など海外メーカより、既存の自社製品と名前が同じであるとクレームが付き、
 ”マークX”まで数字が進むことはなかった。
 しかし、面白いことに、同時期にイギリスに輸出されたローレルは「ローレル マークII」と名乗っていた。


 マークII以外でコロナシリーズとして発表された車種には、”コロナエクシヴ”、”コロナプレミオ”があるが、
 コロナエクシヴは既に廃止となり、コロナプレミオはマークIIと同様”プレミオ”に改称された。


エンジン・グレード


 エンジンはかつては直列6気筒2000cc(M-B, M-U, M-EU)、 2600cc(4M-U, 4M-EU)を主力とし、
 直列4気筒1800cc(16R-U, 18R-U, 21R-U, 3T-U, 13T-U, 4S-FE)も存在したが、X100系からは
 直列6気筒2000t(1G-FE)、2500cc(1JZ-GE)、3000cc(2JZ-GE)のガソリンエンジンと2400ccの
 ディーゼルターボ(2L-TE)のみとなった。2500ccには280psのターボ(1JZ-GTE)が搭載されたグレードもある。

 また、グレードについてはX60系後期型から販売の中心となったラグジュアリー志向の「grande(グランデ)」を筆頭に、
 X80系からはより装備を充実させた最高峰グレードとして「グランデG」が登場した。
 スポーツグレードはX70〜80系までは「GTツインターボ」90系からはチェイサー/クレスタ(100系はルラーン)と
 共通の「ツアラー」だった。最終型110系はNAが「iR-S」ターボが「iR-V」となっている。
 ディーゼルターボや直列4気筒エンジンを搭載した廉価グレードは「GRサルーン」(X80系まで)「グロワール」
 (X90系)の名称で販売されていたが、GRサルーンにはグランデとほぼ同等の装備内容としたものも設定された。


歴代モデル


 初代(T60・70系)(1968年9月)

 初代コロナマークII

 初代はT60系(4ドアセダン)とT70系(2ドアハードトップ)で、まだコロナの型式を継承している(このため、コロナは
 この番号が欠番になっており、T50系のあとはいきなりT80系に飛んでいる)。
 デザインはコロナの「アローライン」を継承しながらも、ひと回り大きくゆとりあるものとなった。

 発売当初のキャッチコピーは「コロナから生まれた理想のコロナ」。CMや広告には高島忠夫夫妻を起用した。
 ワイドバリエーションを誇り、4ドアセダン/2ドアハードトップ/バンに加え、バンと同じボディのステーションワゴン、
 さらにピックアップモデルまで用意されていた。スポーツモデルとして「GSS」(1600GTの実質後継車)が設定された。

 なお、エンジンは1600ccの「7R」(シングルキャブレター・85PS)(7R-B」SUツインキャブレター・100ps)や、
 「10R」(後に8R-Gに呼称変更)が設定された。当初設定された1600ccはコロナに設定された
 「ゴールデンシリーズ」(マークII登場と共に廃止)からのキャリーオーバーであった。
 後期型のフロントマスクは、その形状から「イーグルマスク」と呼ばれた。


 2代目(X10・20系)

 二代目マークII

 2代目はX10系(セダン・ワゴン)・X20系(2ドアハードトップ)で、はじめてマークII専用の車両コード“X”が付けられる。
 デザインは初代モデルから大きく印象を変え、現在の目で見ても躍動的なものとなった。

 クラウンから移植のM-B型6気筒エンジンを搭載したモデル「L」及び「LG」が登場する。
 アメリカ車風のステーションワゴンも意識しており、ワゴンにも6気筒が搭載されていた。
 6気筒エンジン車のLG・LXにはEFI(電子制御燃料噴射)搭載車が後に追加された。
 18R-G搭載のスポーティーモデル「2000GSS」も2ドアHTにラインナップされていたが、オイルショック後の車種整理
 のあおりを受けて1975年に生産が中止されたので、18R-GU(排ガス規制対応型)搭載のGSSは存在しない。


 テレビCMには、故・三橋達也が起用された。またX20系2ドアハードトップは「ウルトラマンA」にも登場
 (作中ではTACの専用車両「タックパンサー」として登場)した。


 3代目(X30・40系)(1976年12月)

 クラウンのすぐ下の車格でありながら、単眼2灯式のシンプルなマスクを採用し、そこから通称「ブタ目」と呼ばれる。
 このモデルのデザインは当時のアメリカ車の「ヨーロッパ調セミクラシック」に影響された様子が見られ、当時の
 アメリカ車には似た顔つきモデルがいくつか見られる。
 グリルとヘッドライトの間にあるランプは車幅灯であり、フォグランプではない。
 メカニズムでは前がマクファーソン・ストラット、後ろがセミ・トレーリング・アームの4輪独立懸架サスペンションを
 上級車種に設定。「4輪独立懸架+4輪ディスクブレーキ」はトヨタとしてはあのトヨタ2000GT(MF10)以来のものである。

 広告では「マークIIを自由に語るグループ」、その名も『マ−クII5人の会』と称する団体?
 が、スポーツモデルでもないマークIIのメカニカルな解説をするのが新しかった。
 マイナーチェンジは1978年9月から逐次1980年夏ごろまで(53年排ガス対策、LPG仕様、ディーゼルエンジン搭載車
 追加、特別仕様車等)行なわれた。

 最終型までの代表グレード「グランデ」はこの代から登場。(当時は最上級グレードの名称だった)このころから
 爆発的に売れ出したが、排ガス規制のあおりを受け、DOHCモデルは無くなった。
 T型、R型、M型、L型(ディーゼル)と多くのエンジンバリエーションがあった。
 マークIIとしては初めての3ナンバーとなる2600ccの4Mを搭載したモデルが最上級グレードであった。
 当時直接のライバルは日産のローレルであったが、同じ日産のスカイラインの人気に対抗すべく、
 オート店で販売される姉妹車「チェイサー」が1977年に登場した。



以降、詳細省略 画像のみ


[ 4代目(X60系 1980年10月)
 5代目(X70系 1984年8月)
 6代目(X80系 1988年8月)
 7代目(X90系 1992年10月)
 8代目(X100系 1996年9月)
 9代目(X110系 2000年10月)
 35th Anniversary
画像は TOYOTA発行 MarkU History より


フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋

詳しくはフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)



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