ネットで書いていた物語   


★ ラジオ体操   2002/05/10

陽が高い夏だと、4時過ぎると明るくなる。日曜日の朝ともなるとお客もいなくなるから早じまいだ。
それでも粘って5時30分。上野を一回りして、浅草をまわって会社に戻った。車庫には洗い屋さんが預かった車を洗車している。 「洗おうか?」 「結構で〜す。自分で洗いますよ〜」 頼むと1000円取られる。もったいない。
窓の外から課金メーターへ目を移し、指数を読みとって日報に記入する。
走行距離、実車距離、営業回数、爾後などボタンを押す毎に表示されるから、それらを基に売り上げ金額をはじき出して納金するのだ。たま〜に切り替えボタンを押し間違って賃走ボタンを押してしまい、初乗り料金を会社にふんだくられる事もある。
間違って押したメーターまで当然計算されるのだ。
そんな日は腹立たしいから、納金の時、事務所の誰となく悔しさをぶちまける。
売り上げを事務所で納金して、車に戻って洗車しようとしたら、ラジオから、チャンチャカチャチャ〜ンと軽やかな音楽が聞こえてきた。NHKの朝のラジオ体操だ。
タクシー業界に入ってからさっぱり歩かなくなっている。
万歩計を一度身につけてみたけど、会社から家まで往復1000歩も歩いていなかった。運動不足だ。
手に持った毛ばたきを置いて颯爽(さっそう)と身体を動かしてみた。
「腕を前から大きく上げて〜」 おいしょ、おいしょ。。。 「後ろに大きく反らします」 そりゃ。。。
うううっ、
 身体がぁっ、 まが、まが、まが、まが、まが ・ ・ ・ ・ ・  曲がらん!!


★ 自動車電話      2002/05/06

携帯電話が出始めた当時、お客様を獲得するためのサービスの一環として、タクシーにも自動車電話が取り付けられた。1分の通話で100円の通話料。ちょっと高い気がしたがこの電話には私も重宝した。明け方5時、茅ヶ崎までのお客様を拾ってしまい帰りが遅くなった。都内へ向かう帰りの高速の渋滞に巻き込まれてしまった時に会社へ連絡を入れたりと大助かりだった。何よりも松戸に住んでいた私にとって、松戸以北までのお客を拾った時には、お客を降ろし帰路についた時に自宅へ電話を入れて 「10分後に寄るぞ〜、飯の用意だぁ〜〜。休んで行くぞ〜〜」  アパートへ寄って暖かい飯を食べたり、休んだり。
ある日、吉原からお客を乗せた。 「上野までやって運転手さん。もしも〜し ・ ・ ・ ・ ・ 」 。 乗り込んでからすぐ自動車電話。ほどなく上野の駅。 「お客さん、960円です」 「おつり要らないよ」 「どうもありがとう御座いました」。。。。暫く走って赤い文字盤に気がついた。コンソールボックスの下にある電話の課金装置が。 「700円」  「あちゃ〜、電話代もらうの忘れた (T_T)」 携帯電話が一般に普及されて自動車電話が取り外されるまで、いったい幾ら
自腹を切った事であろうか。。。。 
まったく運転手泣かせの自動車電話だった。



★ タクシー強盗       2002/05/01

給料が出たあとの釣り銭は、結構持てる。しかし月末となると財布と同じで淋しい限りだ。それでも普段は、朝イチのお客様に1万円札を出されてもいいように千円札10枚は持つ。それに五百円玉、百円玉、五十円玉、十円玉。合わせて2万円ちょっと。
夕飯を都内に数件決めてある行きつけの食堂で食べる。その日は浅草。路地に車を停めて食堂で野菜炒め定食。行きつけの店によって、カツカレー、野菜炒め、ネギラーメン、エビチリ定食と決めてある。だから、そこの店ではいつも同じ定食になる。きっと店のおやじも、こいつはこれしか食わねぇ、と思ってる事だろう。食べ終わって車に戻った。すると、後ろに停まっていたタクシーの運転手が話しかけて来た。 「窓ガラスを破られて売り上げやられました。おたくは大丈夫ですか?」 見ると無惨にも運転席の窓ガラスが粉々に。私はウェストバック。車には絶対置かないから大丈夫。悔しいだろうなぁ〜。でも、命を取られないから良しとしないと。タクシー強盗、それも強盗殺人なら死んでも死にきれない。なんたって釣り銭に売り上げを合わせても、たったの7〜8万円。
今の時代なら5〜6万円だろう。これで殺されたらたまんねぇ。

タクシー運転手って、金、持ってねぇぞ。 
強盗は止めとけ。


☆ 店長呼べ〜〜!         2002/04/10

夕方、会社の近くまでお客を乗せて来たついでに会社で夕食をとる事を決め込んだ。近くのスーパーへ寄って 「なんにしようかなぁ〜〜」。 ぶらぶら見て歩くのもストレス発散になる。 「あ、宮古のサンマ!」 三陸出身の私にはたまらない食材だ。「たたきにしよう!」 早速ネギとほかほかのご飯も買って会社へ持ち帰った。サンマを3枚に卸し皮を剥いて、ネギと一緒にたたく。10分後にはテーブルの上には美味しそうなサンマのたたき。ひとくち食べて 「旨い」。 久々田舎の味に舌鼓を打った。
数日後、またいつものスーパーへ。牛乳を買おうと思って売場へ行ったら売場の片隅にある
賞味期限間際の安売りの棚に、2本の牛乳パックがあった。手にとって見ると値引きの札が付いてない。通りかかった店員のおばさんに 「すみません、この牛乳いくらですか?」 聞いた瞬間、いきなりギロっと睨みつけて 「あなた、あっちの棚から持ってきたんでしょ」 と言いながら、2本の牛乳パックを掴んで本来の売場に持っていった。釈然としないから後ろをついて行く。牛乳売場には今日入荷したばかりの牛乳が綺麗にびっちり並んでいる。それを見た彼女も、ひくに引けなくなったんだろう。入る隙間も無い所なのに無理矢理押し込んでいた。頭に来た私は、おばはんの首根っこを掴んで 「ちょいこら、ばばぁ〜。どろぼー扱いしやがって。店長呼べ〜〜店長。それと牛乳を並べた店員も呼んで来やがれいぃ〜〜!!」
って言えたら、どんなに気持ちが良かった事か。。。。。
二度と行かない。


★ お国訛(なまり) 2002/02/22

上野駅から乗り込んできた60歳くらいの年輩のお客さま。見るからに田舎の人って感じ。 「どちらまで行かれますか?」 「まづやまで行ってけでぇ」 懐かしいアクセント。「まづや」
何処であるかはすぐに解った。 だが「まづや」は二ヶ所ある。早速聞いてみる。 「浅草松屋ですか? それとも、荒川の町屋ですか?」 「はづおんが悪くてもうすわげぇねぇな。なんせ、いなががらでできだもんだがらぁ。荒川のまづやまで行ってけでぇ」 「はい、町屋ですね。とうさまは東北?」 「そうだ、岩手だ」 「岩手はどっから?」 「みやごのつかぐの(宮古の近くの)刈屋っつ〜どこです」 「なんだぁ、と〜さまぁ。俺ぁ〜みやごだぁ〜でばぁ〜」 「あぁ、そ〜でごぜんすかぁ〜、足立ベニヤの仕事でいっぺぇ人がきとりゃんすぅ(沢山の人が来てます)。わげぇもん(若い者)も来てっから遊びさおでんせ」 「と〜さんの名前、おせぇ〜でくたさんせぇ」 「おらぁ、ながづまっつぅもんです」
訛っていいなぁ〜。心が和んだ一日でした。刈屋の中島さん。元気だぁ〜べぇ〜が?


★ 乗車禁止地区   2001/05/21

夜11時過ぎ。浅草で乗せたお客さんを銀座・土橋付近で降ろした。ドアをお開けてお客様が降りたと思ったら、すかさずアベックが乗り込んできた。「やばい、乗禁区域だ」と、思ったもののもう走り出してしまっていた。銀座地区は夜11時になると、バスと同じようにタクシー乗り場以外からお客を乗せることは禁止される。近代化センターの職員に見つかると、ペナルティが待つ。当然会社にもペナルティが科せられ、点数によっては営業車の制限を受けることも。この日は運が良かった?
乗り込んできた50代のアベック、「霞ヶ関から乗って高井戸へやれ」。 霞ヶ関のインターへ向かう。まだ未熟な私は、そのまま真っ直ぐ高速へ突っ込んだ。「おい運ちゃん、これ、渋谷線じゃないのか?」 「え?」。高井戸は新宿線。霞ヶ関にはインターが2つあった。新宿線に乗るには、国会議事堂前でくるっとUターンして乗らなければならないのだ。どっちだ?どっちだ?と思ってる間に、流れに乗ってしまって気がつきゃ渋谷線。後の祭り。「用賀で降りて環八で行け」 「はい」。高速を降りたところでメーターを一応止める。男の言うままにタクシーを走らせ女性のマンションへ。彼女を降ろし自分の家へ向かった。(不倫じゃねぇか、こいつら・・・) 「すいません、間違いましたので、高速代いりませんので4000円でいいです」 かれこれ7000円分は走ってる。「何言ってんだ、わざと遠回りしやがって」 「そんなこと言ったって、あっちこっち回ったじゃないですか」 「払わないよ」 降りていきやがった。乗禁地区から乗せたこともあって、こっちの立場は弱い。。。しかし、悔しい。なにか仕返しする方法はないものか?男が入っていった家を確認した。覚えていやがれ。メモ用紙を取り出し、不倫してる事と、不倫相手の場所を記入し、ポストに突っ込んで帰ってきた。誰が見たんだろう?

☆ 今月の給与計画    2003/05/16 UP

MS−DOS・マルチプラン。

パソコンで毎月の曜日の出番を考えながら、目標と予想を立てていった。
月によって売り上げがマチマチなのだ。
なにより大きいのは、日曜日の出番数と金曜日の出番数にあたるかあたらないかで大きく差が出る。
それを予想して、1ヶ月の売り上げ予想と、給料予想を立てた。
PCにインプットするデーターは、仕事からあがるときに、業務日報に書き込んだメーターの指数を忘れずに書き写して帰ってくる。
そのデーターの、乗車回数・爾後・割増回数をPCに入力すると、瞬時に達成金額が自動計算されて現れる。
当然ながら、そのように計算式を作ってある。
目標金額と予想金額は最初は同じに設定しておいて、出番が終わる度に達成金額を予想金額へと入れ替えていく。
それを見ながら無理をしない、その月の売り上げ金額の目標を立てていく。
合計金額によって、給料の歩合もまちまちであるから、それらも自動計算されて予想給料も把握した。
とても便利な思いをした。

下記は1995年4月分の、実際の私の売り上げデーターである。

月日 曜日 回数 爾後 tax 走行 目標金額 予想金額 達成金額 差引金額 メ モ
3/17 56 485 0 228 392 65,000 75,870 75,870 +10,870 吹上 20,220
3/19 41 447 37 181 320 45,000 60,230 60,230 +26,100 久喜 19,000
3/21 27 167 0 90 166 45,000 30,100 30,100 +11,110 昼寝しずぎ
3/24 47 562 19 219 333 65,000 73,130 73,130 +19,240 調布2回・習志野
3/26 47 281 0 154 279 45,000 51,490 51,490 +25,730 -
3/28 38 523 71 192 331 50,000 63,910 63,910 +39,640 調布・綱島・松戸・三郷
4/1 34 369 0 150 277 50,000 50,120 50,120 +39,760 -
4/3 37 400 0 163 272 55,000 54,420 54,420 +39,180 -
4/5 34 647 73 213 401 60,000 71,000 71,000 +50,180 上尾 15,000 
川口・上馬
4/9 欠勤 0 0 0 0 45,000 0 0 +5,180 -
4/11 33 538 84 185 346 50,000 61,800 61,800 +16,980 谷和原 17,000 桜満開
4/13 40 348 0 157 270 55,000 55,000 52,270 +14,250 -
合計 - - - - - 3,387 585,000 646,480 644,250 - -
平均 - 39 434 - 176 308 53,183 58,770 58,568 - -
給与 - - - - - - 351,000 400,817 399,430 - -


4月9日、日曜日に休んでいる。
差引金額からみて、目標金額を1出番分、5万円オーバーしている。
余裕で休んだのかも知れない。

現役の運転手さん、EXCELで作成してみたらいかがですか?
仕事明けが楽しくなって、重宝しますよ、これ!!


☆ 出勤日数     2003/04/02 UP


入社した当時の出番は、
出番・明け番・出番・明け番・出番・明け番・公休だった。1週間で3出番。翌週には3出番の後、公休・公休と連休が来て、曜日がずれていく。これの繰り返しである。

借金を背負っての仕事であるから、一生懸命に仕事をする。コツコツコツコツと、ただひたすらにお客を拾う。無線を拾わないから地道な稼ぎ方だ。こういう地道なヤツが会社から眼を掛けられるんだか眼を付けられるんだか。。。。。

連休前日。つまり3出番後の明け番だ。アパートへ帰って一寝入りした夕方、会社から電話。「悪いけどさぁ〜、明日乗ってくれよ」入社したばかりだし、借金は払わなくちゃならないし、で、「いいですよ」と、返事。会社も売り上げの伸びないヤツより稼ぎがいい方を乗せた訳だから当然電話が来る。連休を休まず乗るって事は、連続7出番の出勤となる。

出 明 出 明 出 明 (公出) 明 出 明 出 明 出 明 公休 出 明 出 明 出 明 (公出) 明 出 明・・・

2週間休み無しだ。休み無しで6出番目・7出番目ともなると、嫌気が差してくる。7出番が終わってやっと公休。夢のような一日だ。しかし、翌週の連休にも電話。2ヶ月休み無しで乗った。心身共に疲れた。計算すると14出番だから28日出勤。1ヶ月に2,3日の休みしか無い。

具合が悪くなってくる。いくら稼いでも身体を壊しては元も子も無い。それからというもの7出番は断った。


★ 鍋屋横町    2003/2/12 UP 

お昼頃、浅草から新宿まで実車になった。昼の新宿は一回りしても実車になることは少ないから、浅草まですぐUターン出来る。まだ仕事に慣れないからどうしても慣れた所で仕事をしたくなる。ところが、夜ともなるとお客さんを降ろすか降ろさないかといううちに新しいお客が我先と寄ってくる。しかも行き先が甲州街道・青梅街道方面。これがまた混む。まず大ガード下。次に安田火災ビル前の信号。あとはもう工事渋滞に引っかからないのを祈るだけなのだが、そんな甘い日は無い。簡単に高速へ乗ることが出来たら運がいいほうだ。高速を使ってくれるお客さんならでは、だ、が。
ある日の夜に拾ったお客さんは笹塚まで。

新宿の渋滞を抜けたと思うともう笹塚。「運転手さん、もう少し行って」その言葉にスピードを緩める。笹塚あたりの道路には空車になったタクシーを拾おうとする個人やグループの人の山。バブルで踊った沢山の人々。毎日がお祭りだった。
「その辺でいいよ」停車する前から、今か今かと待ちくたびれたお客が寄って来てはドアの空くのを今や遅しと待っている。先客が降りるやいなや「運転手さん、いいですか?」「イヤだ」とは言えない。何しろこの辺りに空車のタクシーはいない。皆、都心へ向かうからだ。笹塚ばかりではない。少しでも都心を外れると実車で来るタクシーばかりで空車は来ない。この時とばかりに乗り込むしか手は無いのだ。それでも走る方向で待ってくれるお客さんはあきらめもつくが、空車になってUターンして新宿に向かって戻っているときに信号に引っかかったものなら、これもまたお客が寄ってたかって襲いかかる。「運転手さん、悪いけどUターンして頂戴」。仕事が出来るか出来ないかは、当時、いかにしてこの辺りの信号に引っかからずに戻れるかどうかに掛かっていた。

その日は、降ろして間もなく実車になった。「運転手さん、中野坂上まで」「真っ直ぐでいいですか?」「うん」タクシーを始めて、初めて新宿から外へ出た時だった。数分で中野坂上の信号。お客さんを降ろして左に振った。『鍋屋横町』 (あ、鍋屋横町だ。)懐かしい。ここには青春のひとかけらがある。1年間暮らしたアパート。良く通った中華料理店。銀行、ディスカウントショップ。そう云えば風邪になって注射を打ってもらった病院。その注射で薬疹・蕁麻疹になったっけ。痒かったなぁ〜。1週間、頭からつま先まで全身真っ赤になって銭湯にも恥ずかしくて行けなくて、アパートでお湯を沸かして身体を拭いたっけ。独り身の病気ほど辛いことは無いと感じた時代だ。思えば20才の時に劇団へ入団したときに住み着いた街。中野。牛丼の吉野屋・赤坂店でのアルバイト。稽古が午後6時から9時。アルバイトが午後10時から朝の7時。新宿丸の内線。中野坂上からガラガラな電車に乗って赤坂見附で降りる。都心から来る電車はぎゅうぎゅう詰め。朝・赤坂見附からガラガラ電車へ乗る。都心へ向かう電車はぎゅうぎゅう詰め。言いようのない感覚に襲われる。これが東京なんだと。帰りの電車で睡魔に襲われてコックリ。。。。気が付くと電車が反対へ走ってる。丸の内線・中野坂上から3つ行くと終点。電車がそのままUターンする。戻ってきた所で間違いなく降りる。
15年前に自分がここに居たんだなぁ〜。そんな懐かしい思い出が走馬燈のように蘇ってきた。思い出に浸りながら車をゆっくり走らせて鍋屋横町を通り過ぎた。
さぁ〜て、仕事、仕事。がんばんなくちゃ。



★ ダッフンだぁ〜    2002/11/25 UP

思い出したくもない、書きたくもない、タクシー乗務最悪の出来事だった。その日はお昼のお弁当を会社の休憩室で取った。一休みして「さぁ〜て、午後もがんばっか」 ”喝”を入れて会社の車庫を出た。会社は吉原の近くにあるから、自然と吉原のソープ街を流しながら何処へ行こうか考える。残念ならがお客は拾えなかった。ソープ街を抜ける手前に吉原交番がある。交番の前に来たときにお巡りさんが手を挙げて出てきた。手を挙げて出てきたって、別に拳銃をつきつけられて両手を上げて出てきた訳じゃない。分かってますって、はい。お巡りさんがタクシーを停めるって、あまり良いことは無い。渋々停車。「なんですか?」「あのひと、辰巳まで乗せていってくれ」交番の中に労務者風の50代の男性。( 辰巳までかぁ〜、4千円は出るかなぁ〜 )皮算用してしまった。「乗せていってくれ」に、逃げるわけにもいかなし。何事も無ければいいが。。。そんな思いでドアを開けた。「どうぞ」。
 声を掛けられた男性が交番から出てきて乗り込みすぐさま横になった。(酔っぱらっているのか?) メーターを「賃走」にして走り出した。浅草から隅田川を渡って三ツ目通りに出たときである。なにやら匂ってきた。考えるような匂いでは無い。もう間違いなく「うんこ」の匂い。あちゃ〜。。。。。よりによって中距離でだ。それに昼間では道路も混む。具合が悪くなってきた。早く送り届ける事しか頭には無い。。。。。。。。。。。
 それから30分後、やっと辰巳。「お金持ってくるから待っててくれ」( なんだよ〜、うんこに無賃乗車じゃねぇだろうなぁ〜 ) 目の前の家に入っていったから無賃乗車はなさそうだ。やれやれ。
お金を頂戴して、曲がり角を曲がった所で急いで車を停めて大掃除だ。シートカバーを取り外し、雑巾で水拭き。暫く走り公衆トイレを見つけて、また雑巾で念には念を入れてふき取った。
いやはや。。。。”喝”を入れたばかりにとんでもない”運”がついてしまった。

。。。。。。。。。。。
脱糞だぁ〜。。。。。


☆ 一通逆走!      2002/11/10 UP

岩本町のあたり。午前中の事。お客様を降ろして昭和通りへ出ようと道路を模索していた。左角に交番が見えた。お巡りさんが机に向かって何やら書き込んでいる。 優しい私は交番のお巡りさんに向かって 「お巡りさん、日夜お疲れさまです。」 そういう気持ちをこめて無言で語りかけた。また心の中でも頭を下げながら過ぎようと思った瞬間、交番の角から昭和通りが見えるではないか。 「なんだ、昭和通りへ出られるジャ〜ン♪」 廻りの安全を一瞬で確認。プロではならの早業。左折に関して 
No problem。 クルックルックル〜で左折。「前方よ〜し」 それからいつものごとく後方確認へ移った。バックミラーに目をやったら、お巡りさんが走ってる。「んっ?なんだ?なんだ?俺か?俺かぁ?俺だなぁ〜!、もしかしてやばい状況!?」 走ってるのではなくて、追いかけてきたのだ。「あ〜、やばいじゃん。知らんぷりして逃げた方がいいや」 時速30km/h位でゆっくり走っていたのをすかさずアクセルを踏み込んでスピードを上げた。すんでの所でお巡りさんのタッチを交わし、昭和通りをすかさず左折。タッチをされたら終わりじゃん、ねぇ〜。何故追いかけられたんだろう。。。。。? 暫く走って信号で停車したときに地図帳を開いて見た。
「なんだ、
一方通行逆走したのか俺。。。。目の前でやられたら、そりゃ追いかけるはなぁ〜。納得。」
しかしこの後、営業が終了する明け方までの長〜い時間、会社へ電話が入ってるいるんじゃないかと気が気でならなかった。何しろ営業車は看板を背負っている。悪いことは出来ない。この日は丸イチニチ疲れた。


☆ そこはダメ!      2002/10/17 UP

深夜12時。本所の駅前辺りから、着物姿の男性客とホステスらしき女性客を乗せた。どうやら店が看板になって連れだって出てきたようだ。乗り込むやいなや、「錦糸町へ」 の声のあと男性客が長い間待ちわびたようにいきなり女性客をさわり始めた。「ちょっと、ちょっと、こんなところでぇぇぇ〜」 (くそ、こら。。。。何考えてんだ、このバカ。) 「だめよ〜ぉ〜、運転手さんがいるでしょぉおっ」 (いい加減にせ〜よ〜)と思いながら、早く降ろしてやろうと、7、80kmの速度で錦糸町へ向けた。数分で着く。そもそも着物姿っていうのが胡散臭いよな、この男。なんなんだぁ?今今の仲じゃねぇ〜な〜、コイツら。。。そんな事を考えてると、「運転手さん、分かってるね、信号左だよ」 「はい」 錦糸町のホテル街。信号を曲がった。
「5軒目で止めてくれ」 
「はい」と返事をしたとき、いきなり女性客が大声を出した。
「あ〜ん、そこはダメよぉ〜ぉ〜」
「え?、だめなんですかそこは。他へ行きますか?」
「そうじゃない、そこでいいんだ」


☆ そんなのありぃ〜?   2002/07/26 UP

営業の仕方も人それぞれである。駅で待機する者。流して売り上げを伸ばす者。駅へ着けたり流したり。駆け引きが必要になってくる。バブル最盛期の頃は流してるだけでお金になった。梅雨時期、雨が降り出そうものなら街を歩いてる人という人が一斉に手を挙げたものだ。平日に仕事が出来るから、日曜日となると欠勤する乗務員ばかり。配車係からは 「お〜い、好きな車に乗っていっていいぞ〜」と。車庫に並ぶ車・車・車・車・車。その日ばかりは新人の私でも新車に乗せてもらえた。また、この日曜日がなんとも最高の稼ぎになった。なにしろ仕事を休む乗務員は他の会社も同じようで、営業しているタクシーの台数が少ないから、馬券の場外売場から吐き出される人をピストン輸送。何処を走ってもモテモテだった。売り上げも平日と変わらず6万円はあげたものだった。
バブルがはじけた後、平日の売り上げが伸びなくなってからは、今まで休んでいた乗務員が日曜日も出始めてきた。少ないお客の争奪戦。吃驚したのは、信号の向こうにお客様。交差点を越えたら乗せようと青信号になるのを待っていると、同じく赤信号で停まっている対向車がなんと、Uターンして乗せて行くではないか!! 「ちょっと待てこら〜、俺の客だぞ〜」 驚くやら呆れるやら。。。 そんな悲惨な争奪戦にまでなってしまった。


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